透明感のある肌、指先の仕草まで繊細な筆致で見事に表現しています。
紹介文:(C)掛軸堂画廊<禁転載・禁改変流用> 【床の間サイズ02】【複製作品】※各アイコンの意味は、こちら 画 題 花の酔い(はなのよい) 寸 法 【軸寸】丈:173cm×幅:49cm【画寸】丈:80cm×幅:32cm 作 家 安田靫彦(やすだ・ゆきひこ)◆この作家の作品一覧はこちら◆ 略 歴 ページ上(↑)をご覧下さい。
体 裁 【本紙】代用特殊絹本【天地】利休鼠地綿支那パー【中廻】素色箔入り小唐草緞子【一文字・風帯】牙地横蔦唐草【軸先】新牙【箱】柾目桐箱、タトウ付【版式】彩美版(R)※シルクスクリーン併用 ※「彩美版」は共同印刷株式会社の商標登録です。
特 記 複製作品(原本所蔵:宮城県美術館)限定200部 【証明】 桐箱蓋裏に著作権者の承認印・限定番号付き証書を貼付。
※原画を忠実に再現していますが、ウェブ上では色彩が多少違って見える場合がございます。
また、表装の裂地(きれじ)は特織謹製しておりますが、万一品切れの場合は、類似模様の裂地にてお仕上げいたしますので合わせてご了承下さい。
↑掛け軸を大切に保管する専用桐箱に収納してお届けします。
全国送料無料!郡部・離島など、一部地域でも追加料金は頂きません!ご安心ください。
↑クリックすると、それぞれのコーナーをご覧いただけます!↑ 【BUN】安田靫彦 『花の酔い』 ● 安田靫彦 画伯 略歴 ● 1884年東京・日本橋に生まれる。
本名新三郎。
1898年小堀鞆音に入門。
鞆音の師、川崎小虎より雅号「靫彦」を戴く。
小山栄達等と紫紅会を結成。
今村紫紅の入会により紅児会と改名。
1901年東京美術学校日本画科選科に入学するも、内容に失望し同年退学。
1907年文展に向けての研究会で岡倉天心に認められ、日本美術院研究所(五浦)に招かれる。
1908年12月、岡倉天心の推挙により奈良に修学するも、発病し、翌年8月に帰京。
以降転地療養を続けるようになる。
1912年頃「花の酔」を制作。
横浜原家の三渓園での古美術鑑賞や研究会にしばしば招かれる。
1914年日本美術院の再興に参加し、経営者同人6名中の一員に加わる。
1919年1月に結婚した妻・いとと共に越後の良寛の遺跡を巡り、翌年の再興第7回院展に「五合庵の春」を出品する。
1922年新潟、出雲崎に良寛堂を設計する。
1923年関東大震災により住居が全壊、借家に移り、昭和3年、東小磯に初めて自宅を新築して落ち着く。
1938年 第二回新文展に「孫子勒姫兵」を出品。
1941年「黄瀬川陣」を再興第28回院展に出品。
朝日文化賞を受ける。
1944年東京美術学校の教授となる。
(1951年退職) 1948年 文化勲章を受章。
1950年文部省文化財専門審議会の専門委員となる。
(1959年退任) 1958年財団法人となった日本美術院の初代理事長に就任する。
1963年「梅花定窯瓶」を制作。
1964年再興第49回院展に「飛鳥の春の額田王」を出品。
1965年東京藝術大学名誉教授となる。
1967年法隆寺金堂壁画再現模写を、前田青邨と共に総監修する。
翌年完成。
1968年皇居に完成した新宮殿千草の間に歌額「万葉秀歌」の書を納める。
1978年逝去。
享年94歳。